信じること
お酒を止められるなんて信じられなかった。穏やかな生活を、送れるようになるなんて信じられなかった。
僕のなかには、何かを信じようとすること頑なに拒む反発力があった。
「くだらない」
「幸せになんかなれるはずない」
反発、と言えば格好いいが、要は、拗ねたこどもだ。
そんな自分でも、酒でボロボロに打ちのめされ、このまま飲み続ければ、最後には死ぬ、と思い、そして、死にたくなかったから、自助グループの仲間の話しを真剣に聞いてみよう、と思った。自発的に、そうしてみようと思った、というより、そこまで追い込まれて、考えを変えざるを得なくなった。
まるで、始業式前日になって、必死に宿題に取り組み始めたこどもみたいに。 ―そう、みんなに共通するかはわからないが、僕が見てきた多くの仲間たちは、家庭も仕事も無くして、自助会につながった。僕も、酒を止めた当初は、まだ実家にこそ、住まわせてもらっていたが、家族関係は崩壊していた(今は、少しずつ修復中)。
とにかく、酒という魔物に、ボッコボコにされて初めて、酒を止めることと、止めるための助けを受け入れた。
今は、今で、現実の厳しさに打ちのめされてる。でも、痛みや屈辱が、酒を止める起点になったから、この痛みも、きっと無駄じゃない。そう信じてみたいと思う。
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