無題
今日は、昼、僕よりずっとながく酒を止めているかたと、コーヒーを飲みながら、いろいろとお話を聞かせてもらい、勇気や共感、励ましをもらった。
そのかたも、今も仕事をしながらあいた時間に自助グループに参加しては、酒を止め続けている。僕から見ると、すごいかたです。
酒を止めた当初は、やれ連続飲酒が辛かっただの、自殺未遂しただの、病気の症状や苦しみなど、アルコール依存症者であれば、共感できる苦しみをミーティングで話し、あるいは、聴くことで多いに、助けられ、楽になりました。
しかし、断酒期間も長くなり、社会復帰したり、家族の問題が出てきたりすると、ミーティングで話しただけでは、なかなか楽にならないことも多いです。そんなとき、経験豊富な仲間と話しをすることで、救われることもあります。
お酒の問題以前に、そもそも生き方下手で、不器用な自分は、お酒を止めただけでは、相変わらず不器用なだけの人間です。
そんな自分が、一般社会の中で生きていくと、摩擦や軋轢で、くたくたになります(;゜∇゜)
そんなとき、同じ経験、似たような経験を話してくれる仲間は、有難い存在です。
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最近、negative capability という言葉を知りました。不確実なものや未解決のものを受容する能力、という意味らしいです。
ああ、アル中の僕にぴったりの言葉だな、と思いました(笑) どれだけ長く止めていても飲めば、またコントロールのきかなくなるアルコール依存症という、完治の無い病気と付き合うには、実にしっくりくる言葉だな、と思います。
アルコール依存症以外にも、生きること自体が、不確実で正解もない。だけど、白黒つけだがる生粋の依存症者気質の僕は、正解を欲しがり、だから、生きづらくなるのかもしれません。
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私達が生きる現代社会は、ありとあらゆる色々な情報で溢れかえっています。そして多かれ少なかれ私達は、情報に影響され、左右されていると、僕は思います。
例えば、恋に、勉強に、スポーツに打ち込む姿を美しく描く学園青春ドラマみたいなハリウッド映画が大ヒットしたら、恋に、勉強に、スポーツに打ち込むことが素晴らしい、と思い込む人がいても、不思議ではないと思います。
映画や音楽、小説などは、ヒットすればするほど、人への影響力、浸透力は、大きいと思います。
僕も、小さなころから、文学やら映画やらの影響なのか、わかりませんが、知らず知らず外部のなにかから影響を受けたり、情報を取り込んだりしながら生きてきました。
そんななかで、たとえば、仕事で成功することが幸せだ、とかスポーツに打ち込むことが素晴らしい、だとか明確な根拠もないのに、自分の価値観になっていました。
まあ、でもそういう価値観って疲れるだけです。仕事が上手く行かないと自分を責めるし、怪我でスポーツできなくなったら、やはり自分を責めます。
幸せの規準が、成功や、繁栄だと辛いですね。不成功や衰退イコール不幸、という公式になってしまうから。
ずっと勝ち続け、成功を収められる人ならば幸せでしょうが、そんな人は、いないか、いても、ごくわずかでしょう。
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幸せの規準って、もっとシンプルでいいのかもしれませんね。
世の中に蔓延する情報のせいなのか、幸せの規準っていうのが、どうも見えづらい。
それに加えて哲学者や、いわゆる偉人の残した「幸せとは…」みたいな言葉があるから余計に、幸せというものが深遠で大袈裟なテーマに思えてくるけど…
僕は、銭湯に入ってるときと、ラーメン食べてるときが幸せです(笑)
どんな偉人が「それは違う!」と否定しても(笑)
幸せの規準をもっとシンプルにすれば、僕は楽に生きられるのかもしれません。
人間なんて所詮は、動物よりちょっとだけ賢いだけの、動物に毛が生えたぐらいのものなのかもしれません。だから、もう少し動物的、本能的に生きようかな、というわけのわからない話しになりました(;゜0゜)
とりとめない文章ですみませんm(._.)m
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