言葉の暴力
こんばんは。
引き続き幼少期ネタです。
気分が悪くなりそうなかたは、スルーしてくださいm(._.)m
最近思ったんですが、僕は体の暴力からは身を守ろうと思うのに、言葉の暴力からはなぜ心を守ろう、と思わない、思えないのか、ということ。
子供のころ、言われたことでよく覚えてる言葉。
恥だ!
みっともない!
罰があたる!
主に母、祖母からです。
例えば、道を歩いているときに、見知らぬ人に僕が何か失礼なことを言ってしまったとき。
だけど、恥、とか、みっともない、って年端もいかない子供には酷だな、と思う。酷だし、重みがある。
誰かに対して恥だ、という言葉を使うとき「あなたは、間違ったことをしてはいけない」という前提が含まれているように思うのです。例えば成人で、善悪の判断もつき、自分の行動に責任を負える人に対して、誤りを指摘する際に「恥だ」、「みっともない」と批判するなら、わかります。
しかし六歳とか七歳の子供には、やはり酷です。むしろ、「恥ずかしく、みっともないことをしてしまうのが当たり前」の年齢です。
話が逸れに逸れました。
要は、子供のころから、年齢に不相応な理不尽な言葉を浴びせられ、でも、何か言い返せない、抵抗できない状況のなか、言われる僕がぜんぶ悪い、みたいな、自分でぜんぶ罪をかぶるみたいなスタンスに疲れました。
ほんと、疲れた😵💤⤵
殴られたら誰だって痛いし、痛いから止めろ、という権利がある。
理不尽なことや傷つけるようなを言われたら、やはり痛いし、嫌なんです。
そして、痛いから止めろ、という権利があるはず。今まで我慢し過ぎたんです。たぶん。
変われるかな…
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