飲まない生活を気楽にやろう!

アルコール依存症で苦しんだ過去、止めている今を気ままに綴ります。病気に関係ないことも書いています。よろしくお願いしますm(._.)m

苦痛あってこそ…

今日はお休みで、朝から整形外科に行って体のケア、午後も銭湯で過ごしました。


体が疲れていたのか、少しマイナスな考えになりましたが…。


実はこのブログを始めたのも、自分が飲まないでいるために、かもしれません。表向きは(笑)、自分の経験が誰かの役に立てば、みたいに書きましたが。

なんだか、最近は吐き出す場になってしまっています。


ただ、思うんですが、痛い、苦しいときほど「生きてるなぁ~」とリアルに感じるような気がするんです。上手く言えないけど。


僕はラーメンや銭湯が大好きだし、食べてるとき、風呂入ってるとき「幸せだな~」とは思うけど「生きてるなぁ~」とはあまり思わない。


やはり辛いときこそ「今、この瞬間、生きてるなぁ」と思います。


それは、酒をやめて、いいことも、嫌なこともある現実社会で生きているからかもしれません。飲みながら苦痛を紛らわしたり、問題から逃げていたときには、感じなかった痛みだから、この痛みも、現実から逃げていない証なのでしょう。そう信じたい。


苦しいとき、信じることをあきらめがちです。僕はそうでした。苦しいと、どうしても、考えがひねくれてきて、どうせ俺なんか…となりがちです。


こんなときだからこそ、心を開いて、素直に信じてみたい、きっと飲まないで乗り越えられる、と。

自己主張?

最近、人間関係の悩みを、ある人に相談したときに指摘されたこと。おかしい、と思ったことは、おかしい、と言いなさい、とのアドバイスを受けました。言われっぱなしになるな、と。


たしかに、最近の僕は言われっぱなし。おかしい、と思ったことは、言わない。


これでは、上手くいかない。

必要なのは勇気。


酒を飲んでいたときにも、おかしいな、理不尽だな、と思っても、我慢してしまうほうだった。そんな欠点に気づいたころには、酒への逃避が始まっていて、性格を直すどころではなくなっていたが。


そういう意気地のない自分を見たくなかったです。見たら直さなきゃならない、だけど、それをやれば人ともぶつかっていくことになる。それは、嫌だから、自分の欠点にも、目をつぶろう。勝手に、そう決めました。


ただ、最近、職場での自分の置かれた状況を考えると、それもできず。


嫌々ながらでも、苦手なことをやらなきゃな…。

自尊心

自尊心…わかったような、わからないような、でも、なんだか気になるこの言葉。


酒を止めて、安定剤も切って、社会に戻った3年前。自尊心も自信も何もなかった。依存物なくして、社会生活をおくるイメージがわかなかった。


あれから3年。自信も、自尊心もついてない。ついたのは慣れだけ。酒なしで、薬なしで生きる。


たぶん自尊心は、栄養分みたいなものなんだよ。不足すると枯れてしまう。


主観的に、「自信がある」とか「自信ない」とかってことじゃなく。


ある程度、社会のなかで揉まれても飲まないでいられるようになったのなら、それは、俺のなかに自信みたいなものが、育ってきた証拠だとおもう。


だから自信とか自尊心という抽象概念を、主観的ではなく、もっと違った捉え方をしたい。